夏休み最後の日、二学期最初の日に思う

(この記事、もうちょっと早いときに出す予定だったんだけど、なんだかんだで遅れちゃいました)


8月31日、9月1日は10代の自殺が最も多い日。

そう。二学期が始まるから。


2015年に鎌倉市図書館が「学校に行きたくない、つらい子は図書館へいらしゃい」とTweetした時ぐらいから、8月31日、9月1日に対する動きが大きくなってきた気がします。


今年も、NHKが数日間#8月31日の夜にという、Eテレ・web・SNSを使ったキャンペーンのようなことをやっていたり、芸能人・著名人が多くのメッセージを発信しました。


そういうのは多くの大人のうちのごくごく一部の人でしかないかもしれないけど、10代の自殺を防ぎたいと思う人たちがこんなにいる。

そのことが、子どもたちに伝わっていればいいなと思いながら、私はSNSを見ていました。


私は、同級生の自殺を目の当たりにしています。当時、報道もされなかったし、原因追究もなされなかったはずです。私の中に原因だろうと思うことははっきりしていますが、公にされなかった以上、ここにも書きません。


たかだか2週間しか行かなかった教育実習でも、いじめを見ました。


大人になった今言えることは、学校なんて別に行かなくたっていい、それだけ。

他に熱中したいことがあるなら、それをすればいい。

学校にいかなきゃ協調性が育たないとか、社会性が育たないとか言うけれど、義務教育きっちり9年どころか、追加で高校3年、大学4年行ったって、協調性の無いやつは無いし(私もそう)、社会性が無いやつは無い。

だいたい、小中学校なんてまったく行かなくたって卒業できる。

画一的な教育がそもそももう時代に合ってないしね。


大人たちがSNSで一生懸命発信している「学校に行かなくてもいい」が伝わればいいと思う。

でも、それ以上に「いじめられるから学校に行きたくない」と思わせる原因になっている「いじめている側」を大人がなんとかするのが先決だよね。

被害者を逃がす、のではなく、加害者をなくすこと。


8月31日、9月1日の大人の動きが、「いじめられている子は学校に行かなくてもいいんだよ」から「いじめている子は学校に行かせない」の方向にシフトしていけばいいなと思います。

私に何ができるかな。




同級生の自殺の話。

今でもかなり頻繁に思い出す。

当時、なぜ原因が追究されなかったのか、そしてなぜ報道されなかったのか。

それとも子どもに知らされなかっただけで、原因は追究されたし、報道もされていたのか。


大人になって思うのは、大人の事情があったのか、ということ。


当時はそのあわただしく非日常な状況に流されていたけれど、今は疑問に思うことのほうが大きくて、全く納得できないでいる。

同級生だったみんなはどうなんだろうか。

もう忘れただろうか。

思い出すことはないんだろうか。

…など。


(文・吉田一美@たぶん、私もいじめられてた時期があったんだけど、鈍感すぎて当時気づいてなかった(笑)大人になってから「ひょっとして、いじめられてたのかも!ヾ(@°▽°@)ノ」って気づいた。鈍感力をビンに詰めてみんなに分けてあげようかなー☆)

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