保育所に通う初めての日の私を撮ってくれたおかん。
今日はそんなおかんの七回忌。
死ぬとは絶対的
医療保険にせよ、がん保険にせよ、保険金をもらうのは煩雑だし時間がかかる。保険会社が用意した様式に医者が診断を書かなくちゃいけなくて、医者が忙しければこれに3か月とかかかるのはざら。
でも死亡保険金は違う。
保険会社によると思うが、証券、死亡診断書、死亡が書かれた住民票、受け取る人の印鑑証明、謄本、これだけあればすぐ保険金請求の手続きができて、手続きをすればあっさり死亡保険金がもらえる。
あまりに簡単で、死亡保険金目当てに殺人をする人の気持ちがわかったくらい。
人が死ぬというのは、それだけ絶対的なこと。
そして圧倒的
死んだ、ということ。
疑いようがない、変えようのない事実。
その事実は私の中に圧倒的に存在する。それはもうとても圧倒的。
教えてくれたこと
人は、平均寿命まで生きると何の疑いもなく思っていて、おかんももっとおばあちゃんになるんだと思っていた。思い込んでいた。
だけどそうじゃなかった。
10万人に3人くらいしかかからない病気になり、5年生存率20%。
20%の壁を超えたいな、という私の密かな願いをよそに、55歳で発症して、緩和ケアで還暦のお祝いをしたその月に、旅立ったおかん。5年弱というタイミングだった。律儀なこと。
人ってみんなが平均寿命まで生きられるわけじゃないんだ。
この至極当たり前のことを教えてくれた。
6年経って
火葬場で泣いたのを最後に、一度もおかんのことで泣いたことはない。死んだということがあまりに圧倒的だから。泣いてもしょうがないし、圧倒的すぎて涙も出ない。
人は平均寿命まで生きるとは限らない。
おかんは60歳で旅立った。
60歳まであと18年。60歳で死ぬことを前提に生きていこうと思ったけど、今はむしろ60歳までも生きられない覚悟でいる。
3か月後も、来年もわからない。
「来年さ」と1年後の約束をする人と話していると「この人、来年が当たり前に来ると思ってるんだな」って冷ややかに思ってしまう。
当たり前だけど、人はいつ死ぬかわからないのだ。
だけど、そんな当たり前のことなのに、3か月後も、来年も生きているとどこかで思い込んで生きている人のほうが多いと思う。
おかんは、3か月後も、来年もないかもしれないという覚悟で生きていきなさい、ということを教えてくれたんだと、おかんの死を私はそう解釈している。
ただし。死にたいわけではない。
おとんより先に死ぬわけにはいかない。
そして、おかんは、画用紙にクレヨンで書いた感謝の言葉を、周りの人に残して旅立った。
私もそうでありたいと思ってる。
明日死んでもいいように、都度の感謝は都度伝えるべき人にちゃんと伝えていきたい。
前に書いたけれど
「おやすみ また明日」と誰かに言えることは、幸せなことだと思う。
そして「明日」が「今日」になってここにやってくるのは、ありがたいことなのだ。
だからせっかく「今日」が来たなら、感謝して、想いを伝えて、好きなことをして、十分に生きたいと。
おかん。
2012年はね、私にとっては14歳の時からずっと特別な年だったのよ。知らないでしょう?
ドリカムが1990年に出した「時間旅行」っていう歌で
「指輪をくれる? ひとつだけ 2012年の 金環食まで待ってるから」
って歌っているの。
その歌を聴いた14歳のころは、2012年なんて遠い未来にしか思えなくて、でもその時が来るのをずっとずっと待ってた。2012年の金環食を。
そして遠い未来だと思っていた2012年は本当にやってきた。
金環食を見る準備もした。
だけど、金環食になる5月21日、曇りで見られなかった。
そして9月29日、おかんは旅立った。
私が14歳からずっとずっと待ってた「2012年」は違う意味で特別な年になっちゃった(笑)
「2012年」がこんなことになると思ってなかったよ。
もう、おかんったらね。
(文・吉田一美@追伸。おかん、大切にしたい人が出来ました)
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