大人になったこと、優しいこと

会社から見える景色が変わりました。

ホテルルートインGrand室蘭 2018年9月25日オープンです。

会社の周り、見えるところにホテルいっぱい。これと、サンルートさん、バジェットさん、ドーミーインさん。


連帯保証人

弟の賃貸アパートの連帯保証人の書類にサイン。


もう2回目か3回目のサインなんだけど、これを書くたびに、あー大人になったなと思う。

最初にサインしたときに「家賃踏み倒すなよ。家賃踏み倒したらあんたが集めたモー娘。のデビュー当時のグッズ、全部売るからね」って言ったら、弟の嫁が爆笑していたのを思いだします。



大人になったなと思うこと

ケンタを食べたいときに食べられるとき、ほしいゲームをほいほい買うとき、ポテトチップスを1袋ひとりで食べても誰に怒られないとき、小学校の同級生に「今度飲みに行くとき誘ってよ」って言えちゃうときなど。

大人になったなぁ。



「優しい」とは何か

ここのところ、どうも違和感のある人がいて、この違和感はなんなんだろうとずっと考えていました。パッと「あ、この人イヤ」っていう感じじゃなくて、でもなんだかモヤモヤする感じ。

そして、ずっと考えていたらやっとわかった。

内面的に優しくないんだ、と。

表面的には優しいの。だから気づくのに時間がかかった。


「優しい」は行き着くところ「人を思いやれること」。そしてそれってすごく幅が広い。

たとえば、具合が悪い人に対して「大丈夫?薬買ってこようか?」と言うのって、一番わかりやすい優しさ=人を思いやってること。だけどこれこそむしろ表面的なものかもしれない。


ちょっと深い「優しさ」は、人の知識や時間を搾取しないとか、何でも人任せにしないとか、時に相手を優先できること、お互いが気持ちいい距離感を保つことなど。


そして、もっと深い「優しさ」は、相手をよく見ていることだと思う。

うわっつらの見えているところで相手を判断しないために。



ものの見方

たとえば、このあいだTwitterでバズってた話を借りると、

「休みの日にフードコートでスマホを見ながらひとりでご飯を食べている女子高生」を見かけたときに


休日にフードコートでひとりでご飯食べてるなんてかわいそう


スマホ見ながらご飯食べてマナーが悪い


という考え方もあれば


ひとりご飯を楽しんでるんだろうな


スマホで彼氏とやりとりしてて楽しい時間をすごしてるのかもな


と考えることもできる。


私は、数年前何のきっかけでこういう考え方を知ることが出来て(もうなんの出来事だったか忘れちゃったんだけど)、たとえば誰かが


「今日のスーパーのレジのオバサンがさー、すっごい態度悪くてイラッとした」


って言うと


「そのオバサンさ、今朝きっと亭主にすっごい嫌なこと言われて、ケンカした後にパートに来たんだよ。たとえば茶碗洗いなんて一切手伝わない亭主が、“お前の茶碗の洗い方が気にいらねぇ”とかさ。だから許してやんなよ。」


的な妄想を返すことにしてる。

「だったらレジで不機嫌でもまぁしょうがないか」って多少は思えるかなと。



浅はかさ

SNSの炎上はだいたいそういう薄っぺらい物の見方をする人たちが火をつけている、と感じる。

こらんのFBをやっていたときにも一度だけクソリプをいただいたことがあるけれど「まぁなんて浅はかな人なんだろう。実名(たぶんな。)で自分のバカさを晒して。」と思った。

ネットリテラシーの低さも一因ではあるものの、根本的に優しさに欠けてる。

画面の向こうで何かを発信している人も、また「人」である、という当然の認識が薄い。そして、匿名だから大丈夫と思っている。ネットの世界は全然匿名じゃないのに。



大人になったので

だれかの連帯保証人になったり、所有権移転登記をしに法務局に行くような大人になっちゃったので、できることなら人を思いやれる大人でありたい。

頭は冷たくても、視野は広く、内面的な優しさを持ち合わせたい。

これを獲得するころ、いったいいくつになってるんだろう。でも死ぬまでに獲得できたらそれはそれで幸せなことか。


2次元で一番好きな人はこの人。

です。

照れる。

(文・吉田一美@冴羽獠ちゃん、一生愛してる。)

好きなことで、生きていく | 吉田一美のブログ

人生はひまつぶし。

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