はい、こんにちは。
結婚もしてなくて子どももいない
生産性のない1号です。
すいませんね、生産性がなくて。
一方で。
「女は医者になっても妊娠出産ですぐ辞めちゃうから、それなら最初から点数引いて医大に合格させないようにする」って?
生産性の高い行為をしてんのに?
しかも、これって本来受かるべき女子を削って、受からないはずの男子が受かってるわけで、入試に本来満たない男子が医者になってるってことだもんね。
医者としての価値は
成績の足りない男子>成績は足りてるけど将来妊娠出産する女子
であると大学が判断してるということ。
わけわかんない。
杉田水脈が言う「生産性」とは、産んだ子どもが将来稼いで税金を納めるという意味合いでの生産性であって、「産む」を「生産」と言っているわけではないということはわかっておるよ。
だから「私は子どもを産んでないけど、働いて税金納めてるし!」という反論はしない。だって産んだ子どもが将来納めていく税金のほうがずっと多いから。
それを踏まえた上で、たしかに私は「生産性」がない。
そして「税金」というものが「生産性の高いことにしか使われないもの」なのであれば、杉田水脈の言ってることは正しい。
でも「税金」ってそういうものだったっけ。
好き好んで女に生まれたわけじゃないのに、子どもを産む能力がありそうな器だというだけで、まー生き難いこの国です。
子どもを産めと言われ、子どもを産まなければ生産性がないと言われ、育休を取ると言えば会社を辞めさせられ、子どもを産んで仕事を辞める可能性が高いからといって医者になる間口を狭くさせられ、人手不足なんだから妊娠するタイミングを考えろと言われ。
踏んだり蹴ったり。
ちょっと女に生まれたってだけで、なんてめんどくせぇ世の中なんだ。
でも、生産性がないと言われても、別に怒る気もないし、反論する気もない。
生産性の有無=人の価値 ではないと私は思ってる。
「生産性が高くないと(人の役に立たないと)生きていてはいけない、生産性の高い(人の役に立たつ)発言にしか価値がない」と実はつい最近までそう考えてた。
だけど「生産性が高いかどうか」は他人の何かしらのものさしではかってわかるもので、自分と生産性の間に他人が介在する。
そして思う。
いつ死ぬかわかんない(椎名林檎風に言えば「明日くたばるかもしれない」)のに、他人のものさしを意識して生きる必要ある?
(椎名林檎「月に負け犬」 この林檎ちゃんとりわけ美人。いつも美人だけど。)
人は裏切るし、自分自身が思うようなものさしで自分をはかってくれるとは限らない(期待するから失望する)。
だったら他人のことを無視して生きればいいんじゃない?
と最近気づいた次第です。
子どもを産んでないから生産性がないと言われようと、結婚してなくて自由で良いわねーと言われようと、子どもを産まないなんて自分勝手だと言われようと、お前のブログには何の意味もないと言われようと、知ったこっちゃない。
他人の価値観で私をはかられるなんてごめんだわ。
自分の価値観で生産していくから、放っておいて。
(文・吉田一美@つらつら思うことを書いたら、しらふなのにとりとめがない。)
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